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更新情報

 投稿者:精進場健史  投稿日:2009年 1月 8日(木)13時26分34秒
返信・引用 編集済
  長篇小説『過ぎし日に何をかなせし』の連載を始めました。序章、第一章をアップしています。  
 

読ませて頂きました。

 投稿者:早川和子  投稿日:2007年 7月10日(火)15時53分41秒
返信・引用
  精進場さん、ご無沙汰いたしております。もっと早く感想書きたいと
思っていましたが、息子が東京から彼女を連れて帰ってくるというので
家を綺麗にしなくてはいけなくて、私は毎日凄く多忙でした。今頃になり
やっと少し余裕が出てきました。エッセイ゜ムジカ、インストゥルメンタリス」
読ませて頂きました。私はもう年寄りなので、精進場さんの作品を読み
若かった頃の自分の読書体験及びその時代の諸々の芸術哲学全ての面において
むしろ小難しい物を世界全体が吸収しようとした時代感覚を何故か懐かしく
思い出しました。それから時代はますます消費時代に入り、テレビの普及
凄まじい消費の時代に入り、日本はすっかりアメリカナイズされていき、
私の若かった頃に読まれていた本は今では誰も読まないと言う本にまで
なってしまいました。年寄りの抵抗か或いはそんな物で人は結局は満足
出来ないと感じるのです。人間は学習能力を誰もが身に着けており、
み易い段階から高度な段階へと自然と音楽を聴き続ける或いは読書を
し続ける事でより高いものへと進みたがる傾向を誰も否定できないと
思うのです。消費時代が日本は大変長く、そんな暇が有るのなら仕事に
でてお金を稼ぎブランド商品を買う方が美徳。そんな時代感覚の中で
自我などと言うものをいっかな理解出来ない人が増え続けた。精進場
さんの新しいエッセイを読み、何故かそう思いました。私はやつと
最近になり本が読める環境になりました。今迄読み損ねていた作品を
これから読んでいきたいと思います。読書は読み手に力を要求するもので
音楽も同じではないかと思います。私はあまり軽いと読み応えを感じる
事が出来なく、時間を割いて読んだのに時間の浪費をさせられたと
腹が立つのです。忙しいのに、お金を払い時間まで割かれてと。こんな
感覚はむしろ時代遅れの感覚なのかもしれません。精進場さん、小説の
方は書かれていますか。私も多忙で詩ばかり更新してきました。何時か
長い物が書けるよう頑張りたいです。お互い健筆でありましょう。拙い
感想ですみません。
 

RE:難しいですね

 投稿者:精進場健史  投稿日:2005年12月10日(土)11時48分15秒
返信・引用
  早川様。
有難うございます。

>幸三郎と絹代との良一に対する態度を書けば違う話が、・・・・この「柊の家」とは違う話になると思います。

確かにその通りです。
ただ、私としては、「幸三郎の日記」という仕掛けを利用して、もう少し、「両親の良一に対する感情」に切り込むべきだったと考えたものですから。

今後ともご指導宜しくお願いいたします。
 

難しいですね。

 投稿者:早川和子メール  投稿日:2005年11月 7日(月)22時20分51秒
返信・引用
  精進場さんの橋本さんの書いた感想のレスを読み
色々考えてみました。幸三郎と絹代の良一に対する
両義性を十分書かなかった事で「柊の家」が作品として
薄味になったと悔やまれているのに少し疑問を持ちました。
幸三郎の手記は良一の病気の原因、すなわちこの家の
悲劇の原因として最後に出てきます。それまでは美紀は
良一の引き起こす家庭の混乱を愛する明に告げる事が出来ず
さりとて明を思い切るわけでもないと言う書き方がされています。
それが幸三郎の手記に書かれた、父と母の良一の出生に対して取っ
た不誠実な態度が最終的に美紀に本来の明への気持ちを呼び覚まし、
最後は明の元に飛び込むと言う終わり方をしています。幸三郎と
絹代との良一に対する態度を書けば違う話が、すなわち幸三郎と
絹代の愛憎劇になってしまうと思います。この「柊の家」とは
違う話になると思います。絹代のその相手の男に対する気持ちが
しっかり書かれていない事は間違いありませんが、この作品は
或る程度成功しているものとして手直しなどしない方が
良いと思います。またそんな愛憎劇にチャレンジされれば
良いと思います。次の作品頑張って下さい。楽しみにして
います。
 

(無題)

 投稿者:精進場健史  投稿日:2005年10月29日(土)19時11分52秒
返信・引用
  橋本様。
『柊の家』の好意的な感想をありがとうございます。
いま思うと、「良一」をめぐる家族の両義的な感情は、美紀を中心としてしか書いていません。しかも、美紀の思いは良一という人間の「結果」であって、原因ではないわけです。良一の「原因」は、いうまでもなく両親である幸三郎と絹代ですが、この二人の良一に対する両義性を十分に描かなかったことで、この作品がかなり薄味になってしまったことが悔やまれます。
そういうことを当初から構成意図に入れていなかった点が、まだまだ私が未熟であるということの証になってしまいました。
まあ、「文章を書く」ということに関しては、ずいぶん練習ができたと思いますが。
文面からお察しすると、橋本さんも、ご自身で何かお書きになられているようですね。ホームページなどお持ちでしたら、教えていただけますでしょうか?
 

「柊の家」

 投稿者:橋本恵一  投稿日:2005年10月 5日(水)19時44分1秒
返信・引用 編集済
  「柊の家」を読了した。最後の場面は良かった。美紀が明の下へ赴く場面。それまでのこの小説列車はのろかったのだが終わりに近づくにつれて凄い勢いでその速さが増していく。これは読者である自分の欲求を充分に満たしてくれるものだった。それまで綿密に準備されてきたこの小説の衣装が一枚一枚脱ぎ捨てられ求めていた真実へ猛烈な勢いで突き進んでいくような爽快さが合った。僕は約3日をかけて読んだのだが、その間もその先を読めばいくらでも読めたのである。だが敢えて読まなかった。ゆっくりと味わいながら楽しみながら読んだ。心の中では批判も交えながら読んだのだが読んでいるうちにその批判も打ち消されていくようなそんな小説の筋に先行するものを秘めたものがたくさんある。筋を追いかけるだけではこの小説を読まない。この小説に出てくる音楽や絵画やまたは外国はたまた語句の使い方までに詳しくはないが、それだけに知らないながらもそれにひきつけられるものもあり、そもそもそれはこの小説の舞台を盛り上げるアクセサリーだと思ったし、そこに意識を奪われてはならないという気持ちもあり、そうしながらも出てくる薀蓄に自分の中に確実に気分の発生を齎し、まったく自分の生活形態とも性格とも違いながらそこに読ませる基本的な文章の旨みがあり、やはりこれが最大に関心を持たせたようだ。知っているのはカフカくらい。それをどういうふうに絡ませていくのかと思っていると、これが実に上手いと思った。言葉で抽象的に理屈として与えるのではなく、読者の自分にイメージとか感触として機能させているように感じさせた。キリストの生々しい十字架の絵などもそれが幸三郎の心理の暗部をまったく象徴させることに的確な表現で追い込んでいく。入隊院とひとつだけ間違いも見つける。追いつた、も見つけた。どだいこういう長い小説に簡単に感想なんてできない、それは失礼だ、という考えもあるのだが、とにかくだから読後感。その間にあることには追求できない。なんだ大学教授か、僕には関係ないや、とすぐに読むのをやめる、というようなことにはさせない、そう、なにか人間の本質にじわじわとにじり寄るものがあり、縦書きの文章もこれがディスプレイに一面に広がり、僕はこれを映画でも見るように、眺めるという感じで目に映していく。でもそこには文字しかないのだ。だがこの小説の場合長さがどれだけあるのかわからないが、その文字の連なりを眺めるという感じでまず目に映して、それからゆっくりとその文章を読んでみる。そして頭の中にその直観だったものをひとつひとつ抽象の言葉に置き換えて考えてみるというようなことができるのだ。早く言えば抽象的ではないのである。そうかといってけっこう思弁は多いのだ。だがそういう思弁だけの内容にはならない現実的な柔らかい風景がいつの時もそれらを包んでいて、正直僕はこれなどは酔える、味わえる、というふうなことになっていく。まばらになりがちな意識もこれは作者のすばらしい工夫でたとえば幸三郎の日記とか葉書とかそういうもので抑揚をつけバランスよく、そしてここで読者も頭の整理がつけられる。しかも単なる整理ではなくてあくまでも文学的に。この家の秘密は初めから検討はついていた。だけどそういうものはどうでも僕はよかった。そこへいたるための引き伸ばしていくそのやり方に興味を持った。意外な内容で意外な現象が現れてくるから油断ならない。ちゃちなサスペンスとは随分と違っている。やはり人間物語なのだ。作者はこの登場人物の中の誰に関係があるのだろうとかふと考えた。父か息子か恋人か、不倫の相手か。どこにもその形跡が見つからないのでその詮索は諦めたが、早川和子さんがいうところのキーワーワードとなる「誠実」がどこで出てくるのかと興味を持って読みましたけど、読んでいるあいだは僕には見つかりませんでした。恐らくそれは小説の内容よりも一人の人間をこれだけ丁寧に描きあげるその作者の誠実さへの思いかもしれないと思う次第です。
家族、精神病、音楽、美術、文学、カフカ、結婚、見合い結婚、愛情、血、認識、意志、十字架、背負うもの、とばらばらですが、そういういろいろなことを読んでいるうちに考えさせられました。しかもゆっくりとですからね、それに小説の登場人物たちの精神が比較されたり同調されたり。変調とか騙し絵とか音楽や絵画の技法用語も巧みに的確にこの小説に合流し、いわば作者の趣味的な部分も満足させながら、また知らないにもかかわらずそこへ楽しい散歩をさせられてしまうようなものがありました。長くはなかったですね。時間というものをそこに感じさせない。それは形式的なものでこの芸術の中には時間はありませんでした。掲示板で作者は言っていますが、雰囲気を作るだけ作って。これですね、いみじくも。この雰囲気の作り方が念入りで絶妙だと思うのです。最後が良かった。とにかく最後をああいうふうに消失させていってひとつの点に消え入るように収束していくそこからの読後感はやはり解決された清涼感とも言うべき単に食べ終わったあと自然にそこに残されたような精神のようなものさえありました。「花瘴物語」で100パーセント信頼が持てましたのでいつか読もうと思って横において睨みつけているような感じでしたがやっと読めました。こんな長くて密度の濃いものはとてもかけませんが僕もこういう完結感のある世界をとても味わいのある深いテーマを秘めたものをこういうふうに書けたらなと思います。短くて完成されたこういうものを書いてみたいですね。読み終わったのは約夕方の7時でしたからほっかほかの感想でとんでもないものかもしれませんが、 精進場さん、とにかく読み終わりましたよ。
 

早川さん、ありがとうございます。

 投稿者:精進場健史  投稿日:2005年 5月29日(日)19時37分50秒
返信・引用
  早川さんに拙作『柊の家』をお読みいただき、そのうえ過分なるお言葉までいただいて、却って感激しております。

さんざん雰囲気をつくって読者を引っ張って、最後に種明かし、という単純で拙い作り方なので、がっかりされたのでは、と思っていました。
それから、作品の随所に入れ込んだ衒学趣味も、人によっては鼻に付くかたもいらっしゃるかも知れません。

それにしても、長編というのは、書く側にとっても不思議な魅力があるものだということを、本作を書いてみてつくづく思いました。というのは、書き進んでいくうちに、登場人物たちが本当に自分の人生を生きはじめ、作品というものが、まるで作者である私と、登場人物たちの共同の産物であるかのように、感じられてくるからなのです。
登場人物が、次の瞬間、私自身も想像していなかったせりふを話し、私のペン(まあ、パソコンの打鍵ですが)がそれを追いかける、というようなスリリングな体験もしました。
もっとも、これは私の貧弱な作品構成力を証しているに過ぎないエピソードなのかも知れませんけれど。
でも、『柊の家』を書き上げた今、私は、自分の登場人物たちが、現在もこの世界のどこかに暮らしていて、私と同じこの空の下で、自分たちの今を生きているような、そんな錯覚にとらわれています。
まあ、稚拙な作品を書き終えてこんな満足にひたれる私は、よほど単純でおめでたいのかも知れません。

お話から察すると、いま早川さんは少し小説書きから遠ざかっている現状なのでしょうか?
しかし、これまでいくつもの素晴らしい作品を書いてこられた早川さんを、私はうらやましく思っています。
無理をなさらず、これからもご精進ください。
 

「柊の家」読ませて頂きました。

 投稿者:早川和子メール  投稿日:2005年 5月23日(月)16時51分20秒
返信・引用
   精進場さん、ご無沙汰致しております。早川和子
です。今、精進場さんの長編「柊の家」読ませて
頂きました。最後のあたりでもう私は感動してしま
いました。大変な力作だと思います。最後まで力が
抜けることも無く、幸三郎の最後の手記も大変迫力
が有り、読後感として誰も皆清い人たちだと感じたのは
私一人だったでしょうか。最後も美紀が明との愛に
立ち戻り、救いがあるのにも感心しました。私の
救いの無い小説とは、ここら辺が大きく違っていて
感心しました。造詣の深い西洋の絵画や音楽が
まさにバロックの様に織り込められ、カフカの「変身」
や婚約者との書簡集など、精進場さんの博学な精神が
最後まで書き込まれていて読者の一個人としても大変
勉強になりました。最後まで読み終えて、自身の誠実さの
在り処を問われたように感じられました。今私は子供も
巣立ち、夫はほとんど家に居ない様な、一種の一人暮らし
の様な生活を送っている私は、気楽で少し怠惰な生活を
送っています。この作品はそんな私に喝を入れてくれる様な
不思議な感動を与えました。久しくこうした精神世界を忘れていた
という、猛烈な反省を私に課しました。「花瘴物語」とはまた
違った、積み上げていくような世界に最終章での感動が
重なり私はうっすらと涙ぐんでしまいました。精神障害者
の家庭を描く困難も思いました。私も精神科にかかって
いて、薬を一応飲んでいます。良一の様に暴れたりは
全くしません。しかし若くして睡眠薬中毒になり、直す
暇も無いような忙しい日常の中で小説を書き続け、時に
頭が回らなくなった様に多忙で、頭の中は絶えず次の
作品の構想を考えると言う、自分でも信じられない
くらいの生活をしていました。そうこうしている内に
やっと子供が巣立ち、今は信じられないぐらい暇な
毎日を送っています。しかしこうして精進場さんの
作品を読んだり、ネットの方の作品を読んだりと
何とか文学に身を寄せた生活を送っています。
かろうじて私が退屈しない生活を送るのも、やはり
文学に常に関心を抱いている事から来ていると思います。
これから精進場さんが、どんな作品を書かれるのか
楽しみです。頑張って下さいね。私も詩からでも
書いていきたいと思いつつ日々怠惰に過ごしているので
私も頑張りたいです。これからも宜しくお願い致し
ます。
 

「花瘴物語」の感想です。

 投稿者:早川和子メール  投稿日:2005年 2月12日(土)15時22分21秒
返信・引用
 
精進場さん、お久しぶりです。今日、精進場さんからメール
が来たので、ここの掲示板急いで覗いてみました。パソコン
開かれなかったみたいですね。お元気で何よりです。私も
今はひどい不眠症も治り、一応日常生活は差し支えなく
過ごしています。「初雪」の感想有難うございました。
十九歳の学生が書いた小説で、しかもあの当時はまだ
処女で、頭の中で考えて小説を書くのに懸命で今読めば
赤面する代物です。でも、読んで下さって感激しています。
私のホームページの掲示板に精進場さんの「花瘴物語」の
感想を新智恵さんが書き込みして下さったので、ここの
掲示板に新智恵さんの許可を貰いコピーさせて貰います。

精進場さんの「花瘴物語」は凄いですね。読み始めたら最後までトイレにも行けず完全に嵌ってしまいました。
こういうのこそ縦書きにすると流れるように読みやすく美しいですね。
冒頭の萱女がやはりず~っと気になっていた。主人公が妻を殺すところは早川さんの言うとおり、もっと
不倫の相手のときと同じように念入りな描写があったほうが良かった。
音楽の精神を知り尽くしたような表現にびっくりしました。
幽玄というよりおぞましい。僕は花輪和一の漫画や平野啓一郎の「一月物語」を思い浮かべましたけどね。
「知らぬふりを決め込んでおきながら、突然、尾で尻にたかる虫をはっしと叩きつぶす牛」
のような表現の箇所は太宰の小説でも読んだことがある。
人の本心が突如顔を出すときの驚愕みたいな箇所に使われていたと思うが、この場合、牛が奥方で
愛人が虫ということになる。昔からこういう隠れた逢引きのようなものがあったのか、と

なんとなく現代と親近感がありリラックスして読める。
講談を聴いてるような感もあった。慎重に読めば心理とか描写に疑問も持つが
文章の流れが澱みなくそれに流されるまま次の場面へ次の場面へと連れて行かれるようで
川流しにあった小船のような気持ち。読者に詳しくは考えさせない案内者に連れて行かれるような気もどこかに
感じながら、しかし、面白いのでついて行く。
極彩色の黄色や赤の粘液がぽたぽたの身の周りに落ちていて臭気を放っているような居心地の悪さ、
不思議で妖しい暗闇の中で蠢く僕の大嫌いな百足の這い寄るようす、そういうものが
渾然一体となって摩訶不思議な雰囲気はなんか歌舞伎の世界にでも入り込んでしまったようなおどろしい気がしてくる。
読者諸君と語りかけてくる白土三平のような落ち着き払った視点で読むほうは心の整理と頭の整理、
そのタイミングも抜群、これがなければ僕はこの小説がどういうものか理解できない。


長編よりも僕はこういうのが好きだな、まるで芥川龍之介を読んでいるみたい。
気がついてみるとこれはネットの小説だったのだということに、ようやく気がついていた。

以上が新智恵さんの感想です。何かお役に立てればと思い書き込み
しました。また、遊びに来ますね。「柊の家」もう完成しているのですね。
私はすごく期待しているので早くアップして下さい。これからも
宜しくお願い致します。







































 

リリングのバッハ全集

 投稿者:精進場健史  投稿日:2005年 2月12日(土)11時25分4秒
返信・引用
  最近、HMVのサイトから、リリングのバッハ全集を入手した。
スタイリッシュでラディカルな古楽器演奏に慣れた耳に、
リリングというと、どうしても微温的な印象を拭えないできたが、
いま聞いてみると、あたたかいまなざし、優しさを覚える演奏だ。
全集を通じて、録音時期に開きがあるようで、比較的むかしの、
教会カンタータなど、おっとりしたリリング節だが、
録音の新しい世俗カンタータや、チェンバロ曲など、
今様の解釈を意識してか、けっこうシャープに切り込んでくる。
いままで聞くことのなかった曲も多く、
今年の冬は、オーディオ装置の前で幸せな時を過ごしている。
 

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