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お礼とお知らせ

 投稿者:くまもと  投稿日:2009年12月23日(水)11時15分3秒
  お久しぶりです。
以前、冊子「霧島の誇り」を作成するにあたり、貴HPの文章を引用させていただきました霧島青年会議所の隈元です。
その節は、大変お世話になり ありがとうございました。
この度、冊子「霧島の誇り」の内容がPDFデータでダウンロードできるようになりましたので、お知らせさせていただきます。

クイズ霧島伝説・・・http://quiz.kirishima-jc.jp/tqindex.cgi

ご覧いただければ幸いです。

それでは、これからもお元気でお過ごし下さい。

http://sanseko-zu.seesaa.net/

 
 

最期まで…

 投稿者:わがまま娘  投稿日:2009年10月 7日(水)13時23分45秒
  なかやまさん、はじめまして。
『わがまま娘』と聞いて あなたなら ピン!と きたでしょう。
このページで会うのは はじめて。だけど 散々 迷惑かけた私だから…
 『結構見てくれてる人がいる』そう、嬉しそうに話してくれていた時は 覗く事さえしなかった 文字どうり わがまま娘。それを今になって 隅々 読んで 思い出して あなたの事を考えていました。あの時こんな事を考え、見て、想い、一生懸命生きていたあなたの事を… いつだって村の事を想い、自分の時間、体力を注いできた あなたの姿を 今なおこのHPで知る事ができます。なんだかんだ言っても 大好きだった村の歴史、伝統、自然、人々…合併してからは 本当に寂しそうでした。村のために頑張る気力を失ってしまったからなのかな… だけど あなたが残してくれたモノは 大きく 確かな モノです。
…今 何していますか?
今更こ~やって ココにいる私を見て 笑っている事でしょう。
…それでもイイです。
元気で笑う あなたの顔が見れるなら…
いつだって笑っていた あなたの顔を 思い出し 風に揺れるコスモスを眺めています。
  最期のあいさつさえ できなっかた わがまま娘を 許してね

 言えなかった ありがとう を この場を借りて…
   今まで  ありがとう    オツカレサマ

        たまには 逢いに来てください
 

ありがとう

 投稿者:なかやまメール  投稿日:2009年 8月14日(金)10時38分44秒
  INA  さん
ありがとう!!
今は、通る人も少なくなってしまいましたが
中島から伊勢を通って、面谷、穴馬に抜ける道は、鉱山の要道として
歴史的にも重要な道でした。
伊勢峠にある地蔵さん、僕も、何年か前に折れた胴体を乗せたことがあります。
乗せていただいて、ありがとうございます・・・・。
 

伊勢峠

 投稿者:INA  投稿日:2009年 8月14日(金)10時14分4秒
  はじめまして。

先日、中島のキャンプ場でキャンプした後、雨の中、伊勢峠を越えてみました。
同じ頃、地元紙に面谷鉱山の歴史の記事もあり、奥深い地域の昔の営みに興味を覚え
いろいろ検索しているウチにこちら様のホームページにたどりつきました。

とても貴重な資料が集積されており、興味深く拝見させて頂きました。
ありがとうございます。

当日は天気も悪く、ライダー達には合いませんでしたが、岐阜ナンバーの
釣り師でしょうか?数台みかけました。今も人影は絶えることはないよう
ですね。
峠の地蔵さんが胸から折れちゃってたので、そっと乗せてきました(>_<)
 

感謝申し上げます。

 投稿者:おやっと  投稿日:2009年 5月18日(月)22時28分18秒
  そうですか、やはり不可能ということで納得です。
和泉村史のなかの越路日記では、雪のない季節でも下山から仏原までがいちばんの難所とありますが、冬は雪崩も怖いし非常に危険だったのでしょう。
渡し場があったので水路を利用することも考えられますが、真冬に九頭竜川を遡るのは容易でなかったと思います。

十二月に大野から高山に行こうとすると、天候の安定した日が来るまで待つしかない事になり、急いで江戸に行こうとするのに天候任せではどうにもなりません。
木の芽峠から関ヶ原に出て、中山道か東海道を利用したと考える法が合理的でしょう。

私の先祖が万延元年、江戸で駕籠訴を決行した話を書いているので、旅程を考える上でぜひ知りたいことでした。

ありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。
 

おやっとさん

 投稿者:なかやまメール  投稿日:2009年 5月18日(月)15時47分26秒
  お尋ねの件ですが
詳しいことは分かりませんが
やはり、雪深い冬期間の通行は不可能だったと思われます。
ただし、川沿いの道は比較的雪が少なく、昔の人は水路を利用していたみたいです。
九頭竜川、石徹白川、飛騨川沿いに、冬でも飛騨の方に行ける時もあったのでは・・・
こんな返事で申し訳ないですが・・・・
今後とも、よろしくお願いします。
 

はじめまして。

 投稿者:おやっと  投稿日:2009年 5月17日(日)20時32分17秒
  こちらのHPを見せていただき、内容の奥深さに見入ってしまいました。

初めて訪問して無茶なお願いですが、ひとつ教えていただきたいことがあります。

江戸時代末期の12月、大野から穴馬を通って高山に行くことはできたでしょうか?
当時の師走には2メーターを超す積雪が当たり前だったと想像します。
高山陣屋と越前本保陣屋の密接な連携を考えると、厳冬期でも美濃道はたいてい確保されていて、大雪になると閉ざされたのでしょうか。そして吹雪が収まるとまた人馬が歩き始めて通れるようになったのでしょうか?

もし差し支えなければご意見をお聞かせください。
ぶしつけなお願いで恐縮ですがよろしくお願い申し上げます。
 

水野美紀 水着メイドのコスプレDVD

 投稿者:a  投稿日:2009年 5月16日(土)11時59分5秒
  水野美紀 水着メイドのコスプレDVD

http://mizuno0501k1.cocolog-nifty.com/blog/

 

どうもありがとう

 投稿者:なかやまメール  投稿日:2009年 4月 6日(月)13時10分4秒
  掛軸さん
どうもありがとうございます・・・。
見ていただいてる方がいることで 元気が出ました。
このHP作成してから5年ほど経っています。
つたない記載ですが、お役に立てて光栄です。
 

どうぞ閉めないで下さい

 投稿者:掛軸  投稿日:2009年 4月 5日(日)23時06分44秒
  はじめまして。
私は油坂峠を越えた所に住んでおる者です。釣りが好きで、穴馬周辺はよく通っております。秋には、自転車で伊勢やら荷暮あたりを走ります。「穴馬大好き」人間なのです。

私は釣りのHPを開設しておりまして、その記事を書くにあたって「ドラゴン」さんのHPを何度となく参考にさせてもらっておりました。(私の知人も、そうです)
また、ホツマツタエの持子姫の事で、ある人にそちらのHPを紹介したところ、その人は和泉村役場に電話をかけて、ねほりはほり聞いたそうです。
あと、民話も大好きです。でもまだ、そちらの民話を全部読んでません。

なので、どうぞ閉めないで下さいませ。

ドラゴンファンより

http://kakejiku.sakura.ne.jp/fry.htm

 

いつの間にか

 投稿者:なかやまメール  投稿日:2009年 3月27日(金)15時39分32秒
  いつの間にか
アクセスが50000件を超えていた
いったい誰が どこで見てくれているんだろう!?
いったん 閉めようと思ったが
しばらく このままにしておこう・・・・。
 

田中敏長先生

 投稿者:なかやまメール  投稿日:2008年 8月30日(土)14時55分28秒
  ホームページの方も訂正しておきました。
遅くなってすみません。
 

小谷堂のこと

 投稿者:小屋番  投稿日:2008年 8月20日(水)20時52分24秒
  早速、お返事をいただきありがとうございます。
貴ホームページを参考にブログ「小屋番の山日記」を書きましたのでご笑覧いただけば幸いです。俵谷の様子は写真中心の「掲示板・行ってきました」に掲載しました。これも良かったら見てください。一日も早く、病が癒えることを祈ります。以下が私のホームページです。

  テント張り終えて安堵や秋の雨   拙作
  秋の暮小谷堂より帰るなり     拙作
http://sirakabaalpineclub.hp.infoseek.co.jp/
 

小屋番さん

 投稿者:なかやまメール  投稿日:2008年 8月20日(水)12時25分19秒
  投稿ありがとうございます。
 和泉村が大野市に合併以来 村の歴史 伝説がだんだん薄れてきました。
小谷堂も昔は石徹白に向かう宿場町として 賑やかだったと聞きますが 今は見る影もありません。
歴史上貴重な場所ですので 今後なんらかな道標等が必要と思いますが・・・・・
今の行政がどう考えますか・・・・・?残念ながら、小生、体調悪くして故郷を離れていますが・・・・・・。
今後ともご指導をお願いします。
 

小谷堂のこと

 投稿者:小屋番  投稿日:2008年 8月19日(火)21時12分54秒
   初めまして。小谷堂で検索したら貴ホームページにアクセスできました。大変、有益な記事なのでお礼方々掲示板でごあいさつさせていただきます。
 私は山登りが好きなので各地の山へよく出かけています。今回は小谷堂にある俵谷の沢登りに来ました。昨年も来たのですが雨で引き返しましたから2回目です。今回は1100m付近まで溯り満足でした。オレンジ色の滑床が続いて白山火山脈の地質が良く分かる溪相でした。目は血管を直に見ることが出来るように言わば、眼底検査のようなものです。幾層のもの地層は水流で洗われてこれ以上削れない地層が見えているわけです。中でも興味深いのは俵石の現物でした。柱状節理の丸い石です。これで俵谷の名前の由来も分かりました。またホームページに有りましたように俵石の墓の出所も俵谷と分かりました。因みに、俵谷源流の三角点1609mは通称、小白山と呼称していますが点名は石徹白です。小谷堂の背後の三角点949mは平家ヶ墓となっています。落人伝説の村らしいです。又、石徹白騒動の研究書を読むと小谷堂や三面からも犠牲者が出たそうです。歴史的にも古い村だったことを知って今の荒廃ぶりが信じられないと思います。何らかの記念碑が欲しいものです。
 小谷堂の地名の由来は地形から堂は穹窿(ドーム形地形)で俵谷との合流地の沖積平野か、小谷戸の転化でないかと思います。三面は朝日連峰の山麓では「みおもて」といい、三氏の姓名に由来するそうです。同じ、平家伝説の村であり、縄文遺跡もあり、字面なのに違いはあるものです。
 ありがとうございました。
 

田中敏長先生

 投稿者:なかやまメール  投稿日:2008年 8月 5日(火)10時40分20秒
編集済
  お手紙 拝見しました 昔のことが懐かしく思い出されました。
ご依頼の件ですが 小生、現在家のパソコンで作業することが出来ませんので、正式な訂正はしばらくお待ちください。お願いします。

田中敏長氏よりご依頼のあった訂正箇所・・・・。
 青葉の笛と村おこしの欄 http://www.geocities.jp/sazanami2121/newpage84.htm

田中敏長さん(1953年東京秋川市生まれ、国内の笛製作者6人の一人、1978年桑名市笛工房を開設し、横笛製作に従事、以後日本の横笛製作、演奏、修理、復元を行うかたわら、東京をはじめ各地で演奏教室を開催、笛研究家美濃晋平氏の紹介が縁で1992年和泉村の青葉の笛・レプリカ製作。現在岐阜県可児市の工房で宮内庁「式部職楽部、能楽囃子笛方、邦楽各流派の横笛修理、製作に従事。東洋音楽会会員。」

以上に変更しますので、皆さん宜しくご判読お願いします・・・・・。
 

ありがとうございます

 投稿者:なかやまメール  投稿日:2008年 6月10日(火)18時12分48秒
  和久さんお便りいただいて ありがとうございます。
いま、訳あって村を離れていますが、合併以後、穴馬の歴史、伝説、文化が消えていってしまいそうで心配です。
このホームページもいつ消えてしまうか分かりませんので、ブログにまとめて書いていますので、あわせて、ご覧ください。
今後とも宜しくお願いします・・・。
http://blog.goo.ne.jp/msanaka20011/
 

おめでとうございます

 投稿者:なかやまメール  投稿日:2007年12月22日(土)12時53分7秒
  くまもとさん
 冊子完成 おめでとうございます
さっそく ブログも拝見しました
今後とも郷土の子供さんのために
ご活躍ください・・・。
 

文章引用のお礼

 投稿者:くまもと  投稿日:2007年12月18日(火)16時40分44秒
  なかやま様

先日、掲示板で「義平公と青葉の笛」の文章引用をお願い致しました くまもと です。
お蔭様で、素晴らしい冊子を作り上げること出来ました。
ご理解、ご協力頂きましたこと、深く感謝申し上げます。
去る11月25日には、冊子270冊を郷土の小中学校に配布すべく教育長に贈呈いたしました。
その模様をブログにアップしてありますので、よろしければご覧下さい。
http://kirishima-jc.jp/modules/popnupblog/

ありがとうございました。
 

ようこそ

 投稿者:なかやまメール  投稿日:2007年11月23日(金)14時45分51秒
  野尻様
ようこそ お越しいただきました
和泉村(旧穴馬村)も合併により大野市に編入されましたが
だんだん 人も行かなくなり
昔から伝わってきた伝説民話も消え去ろうとしています
野尻村も昔は上穴馬の中心でしたが・・・・
詳しくは 当HPの「私の村は水の底」の書いていますので
ご参照ください・・・・
 

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