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ふたたび

 投稿者:nagai@ezo  投稿日:2003年 1月26日(日)06時08分2秒
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  あれから考えています。

○前は花瘴記を伝奇みたいに読んだんですが、華麗な文体そのものが伝奇としての完成することをはばんでいるような気もします。例えば霊異記がもっている素朴さとか時間的遠さからある種の魅力があるでしょう。でもあなたのは文体が現代的で華麗すぎるからこんな魅力は生れえません。

花瘴記は「薔薇の名前」みたいな思想劇に発展させたら如何ですか。そうしたら文体が生きるんじゃないかしら。

○グリュネワルトの死せる恋人の絵はぜんぜん見つかりません。ぼくは渋沢の読者ではないので、彼の全集を読んだことはありませんし。近くの図書館には渋沢の著作はないみたい。

○「ボッシュと地獄のコンサート」あそこでかかれている、音楽は善かというテーマ、ワルターあたりが散々論じていたことは知っています。でもね、今はもう古いテーマだと思う。

ひとつには悪や死や魔や殺人ばっかり扱う音楽会=つまりロックとくにヘビメタのことですが、かなりの力を持つようになっていることです。たしかにヘビメタファン(嫁さん)によると、あそこの聴衆も演奏者もまじめにそんなことを信じている人ではないとのこと。普段はおとなしくて秩序に従うような人ばかりだとか。でも、重要なことは社会の中にそういう悪魔賛美という場が堂々と存在していることなのです。そういえば、20世紀のクラシックだって死や殺人ばっかりてーまにしていますよね。ジャンヌもジルドレもナチスも登場します。

それから、社会的善といったってその成り立ちを分析すればそんなに単純ではない。善なる行為や意思が、「悪なる」欲求や意思や行為から出来上がっていることなんて良くあることです。例えば、敬虔な信仰が偏狭な信念や攻撃性を支えていることだってあります。合衆国大統領はそうでしょ。

○シュッツをいくつか聞いてみました。結構多彩な表現力を持った人で、中には"Liebe und Klage"なんてやつもありました。(ジャケットに女性の背に死神が出ている絵があるんで、てっきり例の……と思ったら、いや普通の世俗音楽でした。)なかで受難曲はとくに淡々としていてバッハと好対照ですねえ。(比べりゃペルトみたい。)
 総じてバッハさえ世俗的で雑駁に思えてしまうような音楽だと思います。(白鳥の歌にあった言葉)これは時代のスタイルとだけはいえないと思います。例えば前後のブクステフーデやスヴェーリンクなんかダイナミックで説得的な音楽を作っていますからね。
 
 
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